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MAGMA理論総論第一編 ー人間の思考の旅ー その1


MAGMA理論総論

ホワイトペーパー

「MAGMAメソッド第一編 」

ー人間の思考の旅ー


誰しもこう考えたことがあるに違いありません。人間の心、考え、行動には必ず法則があるに違いない、と。しかし、それは極めて曖昧なもので、ほとんどの場合は型にはめることはできないと結論づけて、途中でその考えを諦めてしまいます。

しかし元を正せば人間の脳もコンピュータであり、そこには必ず「論理」すなわち「ロジック」が存在するはずです。

自分の成功例と失敗例を照らし合わせながら、それらをあらゆる面から見たときの共通点を探し出し、分解し、組み立て直す。そして間違えばまだ分解し組み立てる。といった作業を私はかなりの長い時間続けました。そのような終わりのないパズルを続けているうちに、ふとした発見をきっかけに閃きを得て、遂に人や物事の曖昧さを許容した人間のロジックを発見しました。

それはまるで、最大の宇宙のようでもあり、最小の原子のようでもあり、人間はまさにその中間にある最も曖昧な存在でした。宇宙が誕生してやがて生物が生まれ、進化して人間が生まれ、人の営みの過程で作られてきた「生きるための手法」です。

私が見つけたそのロジックを自分の様々な問題解決に当てはめてみたところ、全ての事柄にピタリと当てはまり、驚いたことに、今まで生きてきた中で偶然の産物だと思っていた「閃き」のプロセスが浮き彫りになりました。夜空の煌めきから星座を見つけるかのごとく、点と点を結んで、ロジックを次々と紐解いていきました。すると、それまで抱えていたほとんどの問題があっさりと解決してしまったのです。

そこには、原子性(後で説明しますから気にせず進んでください。)や光と影、質量(大きさ)、表と裏、斥力(退け合う力)と引力(引き合う力)といった、宇宙の法則そのものが組み込まれていました。その後も、このロジックは自分や様々な人、企業の問題に当てはめて行くうちに、それらの解決に絶大な効果を発揮しました。すなわち、そこには冒頭で感じた法則性があった、ということです。

一連の過程で洗練した解決のプロセスに自信がもてた私は、ロジックに基づいた解決手法を「MAGMA =Methodological Amelioration by the Gravity of Mind Atomicity」、日本語にすると「原子性のある思考の引力を用いた方法論上の改良」と名付け、どなたにも活用していただける、心や思考を整理するための方法論としてまとめようと心に決めました。

私が編み出したこの手法は、頭や心の中で固まってしまった岩石を溶かし、正しい道の岸壁を作りながら、正しい方向に導くといった手順をとります。これは、あなたの頭の中の強い意思である、熱い「マグマ」の流れを最適化するための手法です。

私の目的は、あらゆる人にこのMAGMAメソッドを使っていただき、「できるだけ多くの人の時間を節約し、人生を楽しめる余暇を増やすこと」です。いつか近い日に、あなたもその一人になることを心から願っております。

気づきと閃き

私がMAGMA の原理に行き着いた経緯を話せば、皆さんの閃きのプロセスと幾つかの部分が共通するはずです。そして、そのプロセスへの共感が、この先の理解を助けることになるはずです。流れを追いながら私の閃きの話をしたいと思います。

当たり前の話ですが、誰しも、問題があればそれについて悩みます。その問題が大きければ大きいほど、眠れないくらいに強く悩みます。しかし、散々悩んだ挙げ句、大きな問題であるにも関わらず、眠って目が覚めた瞬間に突然答えが出ていた。そんな経験はありませんか?

それは、暗闇に突然煌めきが見えるように、もしくは問いと答えのビリヤード球がパチンとぶつかって弾けて入れ替わるように、問題と解決の距離がゼロになった瞬間です。

私はこれを、宇宙で星から星へと旅する話に例えて考えてみました。

まず、自分が今いる星には問題があるとします。そして、たどり着くべき未来の星ではそれが解決しています。しかし、宇宙は暗すぎて、ゴールとなる星の場所も、その星への距離もわかりません。動くべき方向もわかりませんし、星図ももっていません。でも、今までに何度もその状態から正しい星にたどり着いた経験があるとしたら、そこには法則性があるに違いありません。

その秘密を探るために、まず、過去にたどり着いたことのあるゴール地点の星から、問題のあったスタート地点の星を見てみることにしました。すると、元いた星では「気にもしていなかったようなボヤッとした事柄」=「小さくて中途半端な光を放つ星」を、手探りや勘、経験からの予想で目星をつけ、星図に書き込み、それが結果的に道しるべとなって方向を決めて、出発地の星を飛び出していたことに気づきました。しかし、それではまだボヤッとした事柄の存在意味がわかりません。

そこでまたもう一度、元いた問題のあった星から、それらのボヤっとした星々を見てみました。今はもうゴール地点の星の位置がわかりますし、元の星へ戻るルートも星図もあるので、頭の中では一瞬でワープして移動できます。すると、スタート地点の星からゴール地点となる星を見つけるには、自分では予想もしておらず、重要と思っていなかったボヤッとした星々の存在こそが、星図には残っていないのに、星図を作る過程では必須だったことに気づきました。いったいこの中途半端な小さな星々は何なのでしょうか?

次に、そのボヤッとした星々の共通点を考えてみたところ、元いた星から見て、その星々は全て同じ方向に固まっていることがわかりました。あぁ、自分はこうやって無意識のうちに第一歩の方向の見当を付けていたのだなと感じました。

しかし、もっと重要なのは、そのボヤッとした星々の方向を定める前に、もっと大きなプロセスを踏んでいた事実です。「自分のゴールとなる星に行くために絶対に行ってはならない方向」を最初に除外していたのです。すなわち、何の煌めきも感じないどころか、行くと吸い込まれて死んでしまうブラックホールがあるような方向、そんな避けるべき闇の方向を全て「そちらにはゴールの星はないぞ」と、真っ先に進む方向の候補から外していたのです。

その前提があって初めてゴール地点となる星のおおよその方向が定められ、その引力を感じていました。闇のもつ斥力が、自分のセンサーの向きを決めていたのです。

次に、実は重要だったと結論付けたボヤッとした星々を、最初はどうやって見つけていたのかを考えました。

答えは実に簡単でした。ゴール地点の星から、道しるべにしていた星を慎重に一つ一つ、スタート地点まで関連性を考えながら遡っていったのです。すると、「元いた星での問題解決には邪魔なのに、ゴールの星の場所を探ろうとすると、なぜか気になってしまう中途半端なこと」がそのボヤッとした星々の正体であり、星図を作る過程での足場になっていたのです。

では、私は一体どのようにしてその中途半端な光を放つ星々を見つけていたのでしょうか。その答えもとても簡単でした。スタート地点の星から見てみました。すると、それらボヤッとした星々は、問題を解決しようと考えると勝手に頭に浮かんでいただけでした。それをその場では、「問題の解決には直接関係のない邪魔なこと」だと感じていた訳です。

しかし、それだけではゴールにたどり着けていないはずです。そこで、ゴールにたどり着いたことがある過去の旅を、ひたすらスタート地点とゴール地点を繰り返し行き来することによって検証してみました。

すると実際には、解決までに何度も、しかも毎回スタート地点に戻っていました。まさに「振り出しに戻る」です。スタート地点を飛び出し、先に進んでいってから「あれおかしいな?ゴールの星の引力が弱まるぞ」と、旅の途中で後ろを見ていました。

そこで一端スタート地点に戻り、新しく思い浮かぶ中途半端な星々を改めて星図に書き込み、光が強いのに実は重要でなかった星々を星図から消す。そして再び出発する。それをゴール地点の星の引力がより強く感じられることを頼りに、ひたすら何度も繰り返していたのです。

ずばり、これが問題を解決するプロセスでした。

誰しも、何かを解決しようとして、「惜しい、答えが違う」というときがありますね。あれは、ゴール地点の星の引力をほぼ最大に感じているのに、通る道のどこかが間違っていたのです。そしてまたスタート地点に戻ってみると、今までに気づかなかった中途半端な星が鈍く煌めきます。方向やルートを微調整してまた新たな道をたどってみると、そこからやっとゴールの星にたどり着くことができました。問題解決です!

まさに、煌きは閃きそのものでした。失敗したと思って引き返すときに見ていた小さな明るい煌めきと、スタートから再出発するときに見ていた中位のボヤッとした煌きの二つが、閃きの正体だったのです。

一旦ゴールの星の場所がわかると、やはり元いたスタート地点の星とゴール地点の星の距離がゼロになりました。完成した星図があるからです。星図が有れば、ストレスも少なく、障害を避けて星間ワープで瞬間移動できるのです

その星図に残っていたのは、闇も中途半端な星も全て消しており、スタート地点とゴール地点の座標と、その間にある道しるべの小さな輝く星だけでした。どうりで後で考えても、暗い星や中途半端な星の意味がわかりにくい訳です。

ここまできてようやく、解決方法とは、問題と解決の間を行き来しても一瞬で終わる道筋=ルートであるということがわかりました。

そして、解決とは、避けたい星々、一見関係なさそうで実は重要な中途半端な光の星々、そして強く光る星々の優先順位で見つけて、スタートから行き来して星図を正しながら、それを完成させて正確なルートを割り出すというプロセスだったのです。

ここでよく考えてみてください。「あの人が嫌いだ。」「悪いことが起こるかもしれない。」「信じられない。」いわゆるネガティブ思考は悪いことでしょうか?実際は悪いことなどではなく、問題の解決にとって最も重要な要素だったのです。ただし、あえて言うのであれば、ネガティブ思考にポジティブ思考が伴わなければ問題は解決しにくいということであり、言い換えれば、ポジティブ思考だけの人は、ネガティブ思考がゼロのまま全く問題解決に至ることができない、ということになります。

さて、ここで言う星図とは何なのでしょう。ロジックは闇も避けながらゴール地点にたどり着く道筋でした。ところが、繰り返しになりますが、星図には、避けるべきブラックホールも、最初は重要だったボヤッとした中途半端な星々も載っておらず、ゴール地点の星を含んだ、たどり着くのに目印となった小さな明るい星々の座標が書かれているだけです。

すなわち、星図とは、ゴールに行ったことがある者が作った、ゴールにたどり着くために明るい星々だけを示す計算式=プログラムなのです。計算式に行きたい場所を自分で入れると、星図に座標が掲載されているゴールならば、目印として重要な星を抽出して表示します。この方法だと、わざわざ毎回ルートを線で描くよりも情報量が少なくて済みますし、もし幾つかの星がある程度移動していても高い確率でゴールにたどり着けます。

ところで、昔からの紙の地図に比べて、Google Mapは何故あそこまで便利なのでしょう。それは、その「ゴールと道しるべの位置を示した地図=星図=計算方法」と、現時点での最新の「ゴールまでのナビゲーション=ルート=ロジック」の両方を示してくれるからです。

私が作ったMAGMAメソッドは、現時点のあなたの地図を作ってから最適なルートを見つけ、さらに簡単な地図にまとめるための手法です。

ここで疑問に残るのはスタート地点で見える、「中途半端な光を放つ小さな星々」の意味だけです。ロジックというデジタル的に聞こえるものを紐解こうとしている中で、なんと曖昧な課題なのでしょうか。

曖昧さと正確さの狭間

その物事の曖昧さや仕組みの理解が、MAGMAに行き着くまでの最大の障壁でした。人間は曖昧な存在であるにも関わらず、同時にコンピュータでもあるはずです。その謎が、人のロジックの紐解きを妨げ、かなりの時間を消費しました。

多面的に物事を見て、どこから見ても正確なことや、どこから見ても曖昧なことがあるのは当然です。しかしそれだけではなく、どう裏を読んで物事の境目を見つけようとしても、正確なことの裏には曖昧なことが、曖昧なことの裏には正確なことが伴う場合が多々あります。

例えば「好きな人」と「嫌いな人」。この間の正確な境目はわかりません。さらに言うと、「嫌い」には、「嫌いかどうかわからない人」との境目がはっきりするのに、「好き」では、「好きかどうかわからない人」との境目がはっきりしません。「好き」と「嫌い」は単なる対極に聞こえるのに、一体この差は何なのだろうかと考えました。

ここでブレークスルーとなったのは、実は人間自体がその曖昧な境目(隙間)を求めているということと、そのために必要な境目の範囲をどう判断しているかの仕組みの発見でした。

例えばあなたは、人の境目をどこに見ているのでしょうか?皮膚の表面?体毛の先?皮膚を構成するバクテリアや、肌から出たばかりの汗や水蒸気を含みますか?含みませんか?

しかし答えがわかると仕組みは実に明解で、人は、境目について中からと外からと狭めて、その間を幅のある曖昧な線として認識しているのです。これは、人間に関わらずどのような生物でも同じです。たとえば昆虫が、あの生物はこういう線で区切られているのかな、など、高度に形を計算しているとは思えません。

さらに簡単に言い換えると、「外から人でないと感じる全部」と、「人の中から外に向かってここまでが人だと思う部分」を同時に塗りつぶしていったところの隙間を人の境界線として認識しています。ということは、その「中身とその曖昧な境界部分を足した合計」を「人」と認識しているということです。

これは、その人だと思う塊の中心からと、それ以外の全部である宇宙の一番端からとの挟み撃ち作戦です。

つまり、あらゆる生物は、知らず知らずのうちに物事を裏返した外と、曖昧な隙間である境目と、中身の三つを見ているのです。

ところで、「闇」という漢字の由来に面白いエピソードがあります。一説によると、「門」が閉じて暗くなり、視覚が光を判断できなくて「音」に頼るようになった状態を「闇」としたという話です。人間は暗さにも順応して次第に目が見えてきますね。しかも人によっては暗さの感じ方がまちまちです。では、闇はどこからどこまでが闇なのか?絶対的な基準では他人にそれを伝えにくいものです。ここでは、外の門が閉じられて「ここでもう暗くなったと思う暗さ」と、中からは「耳に頼る状態になった暗さ」との間が境目です。すなわち、内側から見て「音に頼った」ところからと、ここから暗くなったと感じた境目までを足した部分が闇という訳です。

これらを言い換えれば、生物は正確な境目を正確に求めるために物事の曖昧さを利用しているということです。この逆も然りです。

次に、例えばあなたは知り合いの中で「仲が良い人」をどう特定しますか?「自分が一緒にいて、心地よい人」などは特定の方法ではなく結果論です。

実は、誰もがまず、内側からはっきりとした「仲が悪い人」、中間の曖昧な「仲が良いかどうかわからない人」、そしてはっきりとした外側の「仲が良い人」と分類し、先ほどと同じように三つに分け、今回は隙間の境目と内側との両方を排除して「仲が良い人」を無意識に判断しています。自分が既に分類していることを認識できているかどうかに関わらず、です。こうすることによって、「仲が良い人」の定義なしに「仲が良い人」を特定することができます。

したがって、こちらの例では曖昧な隙間の境目を正確に求めるために物事の正確さを利用していることになります。ということは、一番最初の「好きな人」の見分け方は中と外が逆になっていました。正しくはこうなります。

これら三つの例の共通点を見れば、物事を区切る隙間の境目は、必ず正確さと曖昧さの狭間にあるということになります。

ここで一つ不思議なことがありますね?なぜ二つ目の例では「仲が良い人」が外で、中ではないのでしょうか?それは、何事も自分の中心にあるのは「はっきりしたこと」で、外に向かって取り巻くのが「曖昧なこと」だからです。これは、あなたも普段の考え方から感覚的に正しいと感じられるでしょうが、その意味と仕組みについては後ほど説明します。


「闇と光」の部


闇と光

星の旅をもう一度、闇と光だけの話にまとめ、全く違う例で説明してみましょう。

驚くべきことに、物事の解決において何事よりも優先されるのは「目指すべき光」ではなく、「避けるべき闇」でした。その闇が危ないと知っていれば知っているほど、そこを避けたいという意思が強く働きます。意思の斥力です。

その斥力があってこそ、ボヤッとした星のおかげで初めて進むべき明るい方向がわかりました。闇の斥力を借りてこそ、初めて進むべき方向に明るさの引力を感じるのでした。

これを簡単に図にするとすれば、例が古くなりますが、敵から逃げながらドットを食べるゲームのパックマンに、舌が生えたバージョンを想像するのが一番です。

パックマンは円形が切り取られて残った部分が体ですが、その背を敵、すなわち「避けるべき闇の方向」に向けて逃げます。そしてそれを斥力として、開いた口をエサとなるドットに向けて進みます。口の開きはおおよそ餌に「向かって進むべき方向」を指し示します。その口にもし舌が生えていたとしたら、その舌がエサの引力を感じる「求める光の方向」です。すなわち、進むべきではない方向を体で確実に決めて、それを除いた口の開いた部分が進むべき方向をおおよそ決めて、エサの引力である「強い光」を舌の先が感じて、順番に正しい方向を探る役目をしています。

これは、まさに人が境目を判断して答えを求めるプロセスそのものです。

光の闇側と闇の光側

次に気づいたことは、「大事だ」と思っていたことを別の方向から見たら対して大事ではなかったり、「危険だ」と思っていたことが対して危なくなかったりすることの原理です。

それは何かと考えていたところ、光にも闇にもそれぞれ裏があるということに気づいたのです。

例えば、「嫌いな人を避ける」という闇と、「好きな人を求める」という光は、同じように重要に思えます。しかし、それぞれの裏側を見ると話が変わります。

二つを裏返してみると、こうなります。

すると、「嫌いな人以外を求める」のは重要なままであるのに対して、「好きな人以外を避ける」は意外と重要でないように聞こえます。

これは言い換えれば、闇の光側を見たり、光の闇側を見たりすれば、実は思っていることと重要性が違っている場合があるということです。

そのため、実際の闇の斥力や光の引力を測るには、「避ける闇とその光側」と「求める光とその闇側」のそれぞれを見る必要があります。

闇の斥力と光の引力

闇と光を実際に先ほどのパックマンに当てはめるとよくわかります。

闇のパックマンでは舌を出す隙間がゼロなのに、光のパックマンにはその隙間がたっぷりあります。

したがって、光より闇のほうが体重があることになります。すなわち、この例では光に比べて闇のほうが強い引力をもちます。

しかし、ここで注目すべきは光と闇の違いです。闇の「避ける」という言葉には、どうも引き合っているイメージがありません。闇の場合は、「引力」ではなく退け合う「斥力」が働いていることになります。

光が未来に引っ張られて前進するのに対して、闇は過去に押し出されて前進します。パックマンの舌がエサに吸い寄せられるのに対して、体は敵に退けられているという訳です。

ただし、闇に吸い寄せられることもあります。それは、体や舌が細すぎる場合です。弱すぎると怖がって後ろに下がって、そのまま敵に食べられてしまいます。何故こうなるのかは、後ほどわかります。

闇と光の隙間

星の旅の例では、光がボヤッと鈍い星が重要だということでした。

これもパックマンの例に当てはめると、中途半端に体が細く、舌が太いということになります。その体重も中途半端になります。

言い換えれば、闇と光の隙間が広すぎず狭すぎない、重さの中途半端な星が「光のどの方向が重要でないか」を指し示していて、ロジックを紐解くために一番重要な星だということです。

すなわち、はっきりとした「避けたい」ことを外側として、「どちらでもない」中途半端な星々を境目にして範囲を狭め、「求める」光で方向を定めて進むのですが、この場合はできるだけ分厚い隙間の境目を見つけることが最も重要になります。

なぜ「避ける闇」でも「求める光」でもなく、この「境目となる隙間」が一番進むべき方向を示しているのかという理屈について、順を追って説明していきます。

闇と光は矛盾が前提

しかし、これまで理解してきた物事の闇と光だけで単純にそれらがロジックである、としてしまうと、そこに矛盾があった場合に混乱や問題が起こります。例えば、「勉強がとても嫌いなのにも関わらず学校には行く人」についてです。「勉強を避ける」闇と「学校に行くことを求める」光。一件矛盾しているように思えます。これがロジックの全てであればそこで止まってしまうでしょう。

「勉強を避ける」と「学校に行くことを求める」、一見ぶつかるようなこの二つには、大きな裏が隠れています。

さて、今まではパックマンを例に出していましたが、一旦ここで終わりです。というのは、闇と光は表裏一体ですから、本来はパックマンの口は180度開いているはずです。図にすると、円の中心を通る縦の線で左右に分けた形で、右側が闇、左側が光です。これより以降はこの形を使います。

「勉強を避ける闇」には、「勉強以外を求める」という光があります。「学校に行くことを求める」光には「学校に行くこと以外を避ける」という闇があります。「避ける」と「求める」に揃えて重要性を書いてみますと、

となります。あくまでも例ですから、あなたの思う感覚と違っても構いませんので先に進みましょう。

全部重要に思えたはずが、重要性を見てみると「学校に行くこと以外を避ける」だけが突然、それほど重要ではないと感じられます。すると、「勉強」には表裏の隙間がないのに、実は「学校」では隙間が大きいことがわかります。

すなわち、「学校に行きたい」という気持ちは、「勉強を避けたい」という気持ちに比べて、曖昧だということがわかります。それが引力の差です。しかし、考え方というのはそんなに単純な要素だけで終わるものではありません。

例えば、「学校」に隠れた裏の目的は何か?を考えてみると、実は「友達に会うことを求める」という目的が見えてきます。しかしこれを「友達に会うこと以外を避ける」と変換すると、非常に弱くなります。それでも学校に行くのは何故か?よくよく考えてみると、「留年を避ける」、「家族に怒られるのを避ける」、「親戚の冷たい目を避ける」、「親友と会うのを求める」、「部活を求める」、「好きな美術の授業を求める」など、「学校」と「勉強」の裏には、様々な大小の闇と光があることに気づきます。

それらの闇と光を全部洗い出せば、単純に二つの要素を比較するだけではなく、「学校に行く」に関する重さと引力が、「学校を避ける」に関する重さと引力に優っていることがわかります。これがロジック追究の基本的な動き方です。

引力が矛盾を飲み込む

意思決定は引力の強弱だとわかりました。まるで大きな惑星二つが重力でぶつかる際に、逆向きに動いている小惑星を飲み込んでしまうように、矛盾した「求める」と「避ける」があったとしても、引力が強い方向に動いてしまうということです。前項の例では、「学校を求める」の引力が、それ単体で見れば「勉強を避ける」の引力に負けているように見えるのにも関わらず、その裏にぶら下がる隠れた目的を含めれば、結果として「学校に行く」引力が勝っているということです。

しかし、その摩擦が大きければ大きいほど、起こした行動に必ず溜まる、皆さんもご存じのものがあります。それが人のストレスです。

ロジックは右から左へ

今まで何の理由もなしに、円形を縦割り半分にした右側を闇、左側を光、として説明してきました。

右を避けて、左を求めて、左に進んでいくということです。では、何故その逆ではないのでしょうか?その理由もここで理解しておきましょう。

実は、人間の心臓に秘密があります。実は心臓は左胸ではなく体の中心に位置していますが、左側の左心室から全身へと送り込む血液を放出しているため、左側に鼓動が聞こえます。それが理由で心臓は左胸、という表現が多く使われます。要は心臓の位置ではなく、その動く力の方向、推力、すなわち引力を感じて左胸と言っている訳です。

人間は、血液を送る側の体を守るため、無意識に左側を光に近づけ、右側を闇に近づける傾向があります。例えば、何かから逃げているときに二股の道が突然現れると、7割の人が左を選択します。これは、本能のロジックの意思決定が働いているからです。先述の通り血液も左側に押し出されていますので、それら二つの理由から本能的に左に動くことは理にかなっています。

要するに、人間に限ってはほぼ100%、進むための引力とロジックの流れを考える際には、右から左に流れる引力を自然に感じられるはずです。

足し算や引き算などの計算、グラフに関しては左から右への流れが自然に感じられます。それにも理由があります。

先ほどの心臓の働き方が原因です。生きることの選択も、ロジックを使った計算です。それは、まず「生きるため」の左を選ぶことを起点として始まるからです。その後限られた時間の中で、命を守るために分岐点で左に行かない理由を急いで計算している状態を考えるとわかりやすくなります。もし、その計算の答えが分岐点への到達に間に合わなければ左を選びます。そこまでの経緯で、段々と左ではなく右を選ぶ理由が導き出されてくるため、計算している間は、意識が左から右へ移っていくということです。

したがって、生きる計算は左から右にしていることになります。

ロジックや計算における左と右の流れの感覚は、言語の表記にも左右されます。裏を返せば、言語や思考の文化が左右の感覚に影響を与えているということです。

昭和初期まではもともと日本語は右から左へと書いていました。言語の話す順番が「私はあなたを愛している」と主語、目的語、述語の順である日本語は、自分の時の流れ、すなわちロジックをそのままの順で話すため、右から左へと書くほうが、現代日本人が見た目に違和感を感じたとしても本能で愛情を強く且つ自然に感じることができます。

日本人は、話す(愛情を伝える目的を達成する)際にまず相手のスタート地点(右)へ言って寄り添い、自分の作った道筋(ロジック=日本語)を指し示しながら、自分が知っているゴール地点(左)へと相手を導くのです。面倒で複雑な言語ですが、誠に親切な作りです。これは、二人の間でゴールの概念にずれがない限りは確実にたどり着けるロジックです。

しかし、英語などのアングロサクソン言語は、「I love you.」の様に主語、述語、目的語とコンピュータのプログラミング言語と同じ構文で書くため、数式と同じく左から右に書くほうが自然に感じます。

プログラムとは星の旅でいうところの星図です。星図とは、スタート地点にいる人にゴール地点の座標を教えるために省略した星の地図でした。英語では、話す(愛情を伝える目的を達成する)際にゴール地点(左)から、スタート地点(右)にいる人に自分の位置を示した星図(計算式=英語)だけを渡します。すると、伝えたいことに到達するための星の位置だけを見て、相手がゴールに来るまで待ちます。

英語はシンプルな言葉だけで成り立つ言語ですが、自分の時間の節約として理にはかなっています。これは、ゴール地点の場所には間違いがありませんが、通るルートによっては物事の捉え方にずれが出る計算式です。

見方を変えればもっと理解は簡単です。日本語を左右逆転してみましょう。

こうすれば、どちらも「愛」が左、「あなた」が右に来ることがわかります。

わかりやすく、単語の順だけ変えてみます。

まさに原理は右から、その計算式は左からだということがわかります。

ここで宇宙の旅の例を思い出してください。正しい道を探るのは右側のスタート地点の星からでした。一方、正しい道しるべの答えを出す計算式を探るのは左のゴール地点の星からでした。すなわち日本語は常に原理を、英語は常に計算方法を話しているということになります。

ついでに、先ほど登場したGoogle Mapの例も思い出してください。日本語は毎回曖昧な言葉(中途半端なボヤッとした星々)を使いながらルート(ロジック)を示して相手を自分の思うゴールに導くナビゲーションです。それに対して、英語は道しるべとなるはっきりとした言葉(小さく光る星々)をあらかじめ相手に渡して、ゴールに来る(計算する)のを待つ地図です。どうりで、英語圏の方にとって日本語の勉強が難しく、日本人にとって英語の勉強が難しい訳です。全く時間的にも逆のアプローチを取っている言語なのですから。

ご存じの通り、今では日本語の横書きについてはもう、数学と同じく左から書くことが当たり前となり、その癖で、時間の経過に関する図についても左から右へと書くケースが多いですが、混乱する場合は以上の理由から左右を逆転すると理解が早くなります。小説は縦書きで右からの流れが心地よいのもそれが理由です。小学生の算数の鶴亀算などの図も、本来は右から左に描いて教えるべきでしょう。

ところで、ロジックについて右から左の流れに違和感を感じて、計算についても左から右の流れに違和感を感じられる場合は、内臓の左右が逆転している内臓逆位かもしれません。その場合、この先左を闇、右を光として、ロジックも計算式も、<→ロジック→><←計算式←>と逆向きに表記していただいたほうが理解が速くなります。

ロジックの過去と未来

ロジックが右から左へ流れる中で、私はもう一つ重要な要素を見落としていることに気づきました。それは、ロジックが時の流れを指しているだけではなく、それ自体が時のポイントも指し示していたという事実です。そのポイントとは、あなたもよく使う「過去」、「現在」、「未来」の三つです。

闇側には、「過去」に基づいて避けるべきものを書いていました。経験と反省、妥協です。光側には、「未来」に基づいて求めるべきものを書いていました。予想と希望、執着です。

そこから予想された通り、ロジックの中途半端な境目(隙間)には、「現在」に基づいた動機を書いていました。確認と行動、無頓着です。無頓着とは、この先の方向を決めるために避けるべき過去の遺物です。過去の記憶からたどって、今はもう重要でなくとも存在に対する意識はしているのです。そもそも意識さえもしていなければ、「〜について無頓着」という表現すら使えないのですから。

ここまでを、もう一度闇と光に当てはめて整理してみましょう。

ロジックが時間通りに沿った右から左の線であるのに対して、計算式は、未来が現在となった暁に、現在だったものがもう過去となっている、という具合に左から右へと一気に遡れる座標を指しているという話の筋が通りました。何故なら、ロジックで通った道が間違っていようと、ゴールにたどり着きさえすれば地図を作ることができるからです。すなわち、左のゴール地点から見れば、過去は現在に隠れて見えず、未来から現在までの間だけの話しかできないということです。

日本語と英語の例がここでまた適用できます。日本語は、過去から一緒に双方の未来へ歩く。英語は、現在から出発する相手に未来で会う場所だけを伝えて待つ。言語によって自分の位置も時間の流れの捉え方も全く逆だったという訳ですね。

日本語は過去から歩く、というのには違和感がありますが、実際に日本語は必ず相手の過去の前提を意識してからしか話せません。

例えば、相手に「明日カフェで会おう」と伝えるとします。これが未来です。現在は話をしています。過去は、例えば「一人でいると寂しい」としましょう。

すると、ロジックはこうなります。

日本語の場合、相手に伝える際に、実は過去から寄り添っています。あなたの過去は「一人を避ける」ですが、相手にとってそれはその人の過去ではありません。そこで、相手を自分の過去のロジックに通してみる(つないでみる)とわかります。

「一人を避ける」に「相手」を通すとこうなります。

「一緒にいる」←「一人を避ける」←「相手」

そうすると、過去であった視点を現在にもってくることができました。過去の「一人を避ける」という闇を、現在の「一緒にいる」の光に変換できました。

したがって、相手に伝えるロジックは次のようになります。

すると、現在の「相手と一緒にいたい」という気持ちを前提に、「明日カフェで会おう」と発言しました。

これだけではまだわかりにくいですが、英語で同じことをするとすぐに違いがわかります。

気持ちは全て同じです。計算式で書いてみましょう。

を計算式に直します。

Xを求めよ。英語の場合、そこに全て道しるべがあるプログラムですから、非常に簡潔です。

これだとわかりにくいので、理解を優先して日本語に直してみましょう。

ここで、日本語と英語を並べます。

日本語は、このように過去の経験を必ず入れて話します。当然相手に伝える言葉には含まれていませんね。しかし上をそのまま文章にすればよくわかります。少し理解のために味付けします。

残念ながら、あなたがネイティブなバイリンガルでなければ、英語において背景は別物だという感覚がわかりにくいのですが、日本語を話すときの背景には、言葉にしなくとも、必ず「〜だから」という過去と現在が含まれます。

実は、強制的に英語脳で見る方法があります。明日の自分から見るという手法を使います。すると、日本語はこうなります。

目の前にある明日の部分に、昨日になってしまった現在の言葉が隠れます。逆に英語を日本語に直してみましょう。すなわち、未来から現在に戻ります。

そもそも英語で消えてしまった文章は日本語に変換しても戻りません。

もし英語で「今、一緒にいたいし会う約束をしたいから」ということを伝えたい場合はどうなるでしょうか?「because」という文章を使って、「明日カフェで会いたい」の前ではなく後に続けますね。これは、前提として現在に関する背景が含まれていないため、二つ目の数式を追加して話さねばならないからです。

ここでわかることは、日本語での現在に関する背景は未来の視点になれば消えますが、英語での現在に関する背景は、未来から現在に視点が戻っても復活しないということです。

わかりやすくするために、英語には含まれず日本語には含まれる背景=過去の例をもう一つ挙げておきます。お別れするときの挨拶に明らかに言語の違いが現れます。

それぞれの背景を全て書くとこうなります。

日本語は、今日会った前提を過去の背景とした前提で、「また」という言葉だけで挨拶を終わらせられます。この場合、背景に「会いましたが」という言葉が入っているからこそ、重複を避けてその後の「会いましょう」を省略できるのです。

一方、英語の場合は結論から話すため、背景は時系列的に全て逆になってしまいます。背景は、無駄な時間を割いてでも伝えるべき相手には、言葉として出さねばならないということです。

この通り、英語では過去の話を数式に含めることができません。そのため、過去を含めて話したい場合は、別の数式とセットで話さねばなりません。しかし日本語は、一つのロジックの中に過去を含めることでタイムスリップできます。

これで、日本語には必ず背景が伴うことがわかりました。すなわち、ロジックには過去がないと成り立たないことが証明できました。

私がMAGMAを発見できたのも、この未来と過去の感覚と、過去がなくなる感覚、そして日本語と英語の異なる感覚に気づくことができたからです。計算とロジックをごっちゃにしていた時期は、原理を紐解くことができませんでした。

自分の中で星の旅に例えて、未来と過去を行き来しながら、計算式の調整とルート確認を何度も交互に繰り返した結果、その前進と後退のルールが全く違うことに気づいたのです。

今思えば、頭の中と言えども過去と未来の間をタイムスリップしている訳ですから、素敵な妄想だと言えるでしょう。妄想なしには、ロジックは紐解けないということです。

MAGMAメソッド第一編 ー人間の思考の旅ー その2」へ続く。

MAGMA理論総論第一編

MAGMA理論総論第一編 ー人間の思考の旅ー その2
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